肩書について思うこと

肩書について思うこと コラム
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最近、Twitterのタイムラインを眺めていると、肩書とかアドバイスについてのツイートをちょくちょく見かけるので、ちょっと持論を書いておきます。

基本的にこのカテゴリーはホラー系のVTuberを紹介するのがメインの目的のサイトなので、他のカテゴリーと違ってノウハウとか語っていません。

TwitterやYouTubeのコメント欄に書いてるじゃんって思われる人もいるかもしれませんが、そういうものはたいていVTuber特有じゃなかったり、疑問を呈する内容。

現実問題として、自分はVTuberではないし、VTuber特有のノウハウを蓄積しているわけではないので信頼性がありません。

逆に言えば、自分に知識や経験があれば、質問に応えたり、アドバイスはできますよね。

自分はそれを肩書だと思っています。

例えば、自分は過去にレイアウターとして出版業界に携わっていたので、デザイン全般の知識を持っています。

もう辞めてから20年以上経っているので、WEBデザイン知らない元の方ですし、20年も前の経験や知識に意味ないですよねって考えもあるかもしれません。

ですが、そうは言っても未経験の人間に比べたら、はるかに多い経験や知識を得ています、

元だからそれがなくなるかと言ったら、そうではないですし、辞めたらそういう情報に興味がなくなるかと言ったらそんなこともありません。

そうなると、元レイアウターのサイト管理人という肩書がつけられます。

また、自分の場合、趣味で10年以上いろんなサイトを作ったりしているので、無駄にHTMLやCSS等の知識を持っていたりもします。

当然SEOに関しての知識も身につけていってるので、キーワードによっては検索1位のページとかもあるので、ノウハウ自体は語れます。

そのため、YouTubeでのSEO対策を言えることがあるわけですね。

趣味の範囲のため、肩書としてアピールするのは厳しいですが、それなりではあるかと。

他にもつけようと思えば、いろんな肩書をつけることができたりします。

それは誰にでも可能なことですし、肩書をつけることで何者かわかるので大事。

肩書に権威があるほど、情報の信頼性が補強されるという意味でも重要でしょう。

また、言ってることが違う人たちがいた場合、肩書がどちらを信用すべきかの判断基準になるはず。

病気の相談してるのに、専門医と素人で素人を選ぶ人は普通いないですからね。

ただ、逆に言えば、情報の受け手はその肩書に意味があるかを見極める判断力が必要になるということ。

例えば、登録者1万人いるチャンネルがあって、『広告を出せば1万人なんてすぐ』という情報があったとしましょう。

もちろん、広告を出すのは効果的な方法として存在します。

とはいえ、その登録者1万人のチャンネルの再生数が広告を出す前と変わらなかったとしたら、その登録者1万人という肩書には意味がありません。

こういうのは難しい例ですが、他にも肩書とまったく関係ないことについての内容だったりとかは、肩書の意味はないでしょう。

あくまで肩書に意味がないだけで、その人が信頼できるなら、信じてもいいとかもしれません。

そういう意味では肩書は大事だけど、信頼関係はそれ以上の権威ということでしょうね。

ちなみにYouTubeを含むGoogleの評価基準には、権威性が含まれています。

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