吉良神社
高知県にある吉良親実を祀った神社で、七人みさきで有名。
吉良親実というのは、長曾我部元親の甥で、元親の娘を妻にしているので、義理の息子でもある人物。
しかし、元親の長男・信親が討ち死にしたことで相続争いが起こり、元親の意に沿わない諫言をしたことで自害を命じられるという可哀想な人物でもあります。
その自害は親実の屋敷で行われており、吉良神社の社殿前左にある首洗い鉢で機微を現われたらしい。
ただ、この辺り、調べても詳しく書かれていないため、正確ではないかもしれません。
自害当時、親実の屋敷は現在の越前町にあり、葛岡神社となった後、明治時代に現在の吉良神社として合祀されたようなんですが、現在の吉良神社も旧葛岡神社となっているので、ちょっと流れがわかりませんでした。
首洗い鉢も元々現在の位置なのか、合祀で移転する際に移動されたのかも定かではありません。
もし、調べられたら後日修正するかも。
現在、葛岡神社の跡地には別の建物が建っており、碑が残されています。
そして、この神社の怪異の根源となる七人ミサキですが、吉良親実に大きく関わっている内容。
自害を命じられた親実の死後、元親は親実の七人の忠臣を誅殺。
自害と書かれている情報もありますが、自害だけでなく、斬り殺された人もいたようです。
それ以来、親実の墓地や、長曾我部ゆかりの土地に8人の主従が現われるようになり、親実のことをおとしいれる発言を元親にしていた久武親直にも不幸が降りかかります。
久武親直には妻と8人のこどもたちがいるのですが、短期間の間に妻と7人のこどもを失うはめに。
その後も様々なことが起こり、元親は祟りを鎮めるよう親実と7人の忠臣を供養しようと試みます。
しかし、その儀式の最中、8人の位牌は供養を受け入れないとばかりにどこかへと飛んでいってしまったんだとか。
そういうことがあって、高知では何かがあると七人ミサキの祟りと囁かれるようになったそうです。
ただ、七人ミサキ自体はレパートリーがあり、親実は自害、七人の忠臣は誅殺なので、海辺や水辺に現れる七人ミサキとは別物と思っていいでしょう。
とはいえ、七人ミサキを見ると高熱を出す等の被る部分もあるようなんですけどね。
普通にお参りする分には良いところです。
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