0:00【富士の樹海(青木ヶ原樹海)】その中でも1番危険なオウム真理教教団拠点「第1上九第2,第3,第5サティアン」跡地・ 旧上九一色村の富士ケ嶺公園
9:35ガリバー王国跡地
11:10風穴
14:19ミイラのいる人穴
19:57樹海縦断
サティアン一覧 「第1上九」(第2・第3・第5サティアンがあった一帯を指す) 現在は、自然公園(富士ヶ嶺公園)
第一上九第2サティアン – 当初は麻原一家の住居で、後に教団「法皇官房」が置かれ、麻原の愛人(ダーキニー)が住むようになった。またマイクロウェーブ焼却装置「勝利者」が設置され、死体を焼却し隠蔽する為に使用された。 勝利者 – 第2サティアン地下に設置された、オウム真理教の開発したマイクロウェーブ焼却炉。冷蔵庫ぐらいの大きさのマイクロ波発生装置(出力は電子レンジの5~10倍)とドラム缶を組み合わせたものである。人間の死体を隠蔽するために使用され、3日ほど稼働すると遺体は粉になり、残った骨は硝酸で融解するなどしていた。警察が肉5kgで試したところ、数時間で粉となった。
第3サティアン – 作業場や物置として使用していた。
第5サティアン – 教団の印刷工場で、教団の印刷物を印刷していた。教団「法務省」も置かれていた。
サティアンとは、オウム真理教の宗教施設の名称である。「真理」の意。
オウム真理教の教団拠点があった「富士ケ嶺」(山梨県西八代郡上九一色村、現・南都留郡富士河口湖町)を中心として点在していた。旧上九一色村だけでなく、南都留郡鳴沢村や静岡県富士宮市などにも存在した。1989年から建造が始まり、一部ではそこで共同生活をしている、パソコンを組み立てているという程度には認知されていたが、1995年に一連の教団が起こしたサリン事件で一気に注目を集める。
富士ケ嶺周辺は最盛期ではサティアンやその他倉庫群、プレハブ小屋などが30棟以上点在しており、事実上の拠点であった。特に有名になったのは、第7サティアンでサリンを大量生産するための施設であり、強制捜査の暁には捜査員がものものしい毒ガス対策装備をした姿で施設に入ってゆく場面がマスメディアを通じて繰り返し報道された。
麻原彰晃の逮捕以降、1996年までにサリンプラントがあった第7サティアンを除く全てのサティアンが閉鎖され、取り壊された。また第7サティアンは化学兵器禁止機関の査察対象となったため、1998年12月まで残っていた。「サティアン」の名前はのちに、オウム真理教の経営する店(サティアンショップ)に用いられた。逮捕されるまで、麻原本人は第6サティアンの隠し部屋で生活していた。
オウム撤退後
一連の捜査後には、オウム真理教に興味がある一部の人の観光名所として注目を集めるが、翌1996年にはサティアンの大半は、捜査のため必要であった第7サティアンを残しすべて取り壊される。「跡地には富士ガリバー王国がオープンした」と一般には言われるが、実際はサティアン(第6サティアン)から約3km程離れている。
1997年にオープンしたテーマパークにより、教団撤退後の富士ケ嶺地区のイメージアップが期待されていたとされ、隣接地にはゴルフ場(富士クラシック)やホテルも建設された[2]。しかし、1999年には運営会社のメインバンク、新潟中央銀行が経営破綻になりその煽りを受けたほか、不況や交通アクセスの悪さ、イメージ払拭が出来なかったことなどが重なり、来場者数は伸び悩み、2001年10月28日、閉館となる。
その後2002年にタカギリゾートにより土地が買収され、のちの2004年8月に愛犬家が犬と遊ぶための施設『ザ・ドッグラン』としてオープンしたものの、2005年には営業停止、翌2006年にはアーバンコーポレイションが買収、2007年に既存施設はすべて解体され更地となる。そのアーバンコーポレイションも2008年8月13日に経営破綻し、その後清算するなど、跡地は目まぐるしい運命をたどる。
なお、「第1上九」(第2・第3・第5サティアンがあった一帯を指す)には、自然公園(富士ヶ嶺公園)が整備されており、一角には、信者リンチ殺人の現場となった犠牲者のため、小さな慰霊碑が建っている。
サティアン一覧
富士宮市富士山総本部道場
第1サティアン – 富士山総本部道場の隣。サティアンビルとも。1995年1月頃に「電磁波攻撃を受けている」として鉄板で改造された。
第4サティアン – 教団「郵政省」と「MAT(マンガ・アニメ・チーム)」が置かれ、教団のビデオやアニメを製作していた。
第一上九第2サティアン – 当初は麻原一家の住居で、後に教団「法皇官房」が置かれ、麻原の愛人(ダーキニー)が住むようになった。またマイクロウェーブ焼却装置「勝利者」が設置され、死体を焼却し隠蔽する為に使用された。 勝利者 – 第2サティアン地下に設置された、オウム真理教の開発したマイクロウェーブ焼却炉。冷蔵庫ぐらいの大きさのマイクロ波発生装置(出力は電子レンジの5~10倍)とドラム缶を組み合わせたものである。人間の死体を隠蔽するために使用され、3日ほど稼働すると遺体は粉になり、残った骨は硝酸で融解するなどしていた。警察が肉5kgで試したところ、数時間で粉となった。
第3サティアン – 作業場や物置として使用していた。
第5サティアン – 教団の印刷工場で、教団の印刷物を印刷していた。教団「法務省」も置かれていた。
第二上九第6サティアン – 一階部分が麻原一家の住居。逮捕当時、麻原彰晃が隠し部屋に隠れていた場所。
ヴィクトリー棟 – 第6サティアンに近接。警備担当のサマナが24時間詰めて監視していた。
コンテナ – 監禁用コンテナ。多い時は20~30人が収容され自治省の信者が8時間交代で常時監視していた。
第三上九第7サティアン – 1993年2月から建造開始。9月からは内部にサリンプラントを建設していたが、サリン製造は果たせなかった。ただしサリンプラントで製造したものではないが、サリン製造の最終工程をサティアン3階で行ったことがあり、このサリンは滝本サリン事件、松本サリン事件に使用された。
クシティガルバ棟(土谷棟) – オカムラ鉄工から奪った物置を改造して建設した土谷正実の実験室。化学兵器、爆薬などを製造。
第四上九第8サティアン – マハーポーシャのパソコン組立工場。
第12サティアン – 自動小銃密造工場。
第五上九第9サティアン – 自動小銃部品密造工場。
第11サティアン – 自動小銃量産(予定)工場。
第六上九第10サティアン – 出家信者の子弟の生活の場。自治省系緊急連絡網の配信センターがあり、各拠点に対し「××地方の降水確率は100%です」などと気象予報を装って警察捜査の接近を警報していた(「降水確率」が高いほど捜査が来る可能性が大きい)。
ジーヴァカ棟(CMI棟) – 遠藤誠一の実験室。生物兵器、違法薬物を製造。地下鉄サリン事件で使用されたサリンも製造した。調査を行った捜査員に発疹がでたこともあった。
第七上九倉庫群
富沢町富士清流精舎
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