第9話『錯綜する思惑の行き着くところ』
何かに気づいた拓瑠はある場所にゲンさんとともに行く。
ゲンさんは拓瑠が家を出た際によくしてくれたホームレスで、雑誌のCOOL CAT PRESSを置いていくのも彼。
彼を連れてきたのは、ギガロマニアックスの能力は共通認識が必要となるため、観測する第3者が必要なわけですね。
これ、説明が雑なので自分のようにアニメでしか見てない人たちにはわかりづらいと思います。
自分も久野里のこれまでの説明からそういうことだろうなという認識ですし。
一方、乃々の正体だった泉理は、どこかの屋上らしい場所で世莉架と対峙。ちなみに作品中での扱いは、乃々のままになっています。
問い詰めながらディソードを出した泉理は、世莉架にディソードが見えていることに気づく。
そして、南沢泉理の存在を悪用していた犯人が世莉架と刃を交えると、世莉架の思考が流れ込んでくる。
どうやら世莉架は拓瑠の望むことを叶えるために存在していると思っているようだが、そのために犯している行動が拓瑠の望みとは矛盾してしまっているらしい。
戦いに気づいた拓瑠が現場に着いた時には、自分を殺せと言っていた泉理は血を流して倒れており、激昂した拓瑠もディソードを振るうが、世莉架を斬ることが出来なかった。
世莉架が立ち去った後、拓瑠がフリージアで目を覚ますと、一連の事件の犯人は拓瑠ということになっていた。
それはまるで、西條拓巳が有名人になった『ニュージェネレーションの狂気』で犯人扱いされた時のようだった。
結局、泉理は死んでおらず、世莉架は行方不明、佐久間もどこかへ行ってしまったらしい。
新たな手がかりもなく、調査は行き詰まるのだが、ギガロマニアックスの発現が渋谷地震の光であり、強いストレスと願望によるものだと推測された。
パイロキネシスを得た灰田理子は渋谷地震の際、顔に火傷を負っていて、他の人間を同じ目にあわせたいと願った様子。
しかし、拓瑠がサイコキネシスを望んだとは思えず、経歴を確認していくと、幼馴染みのはずの世莉架の経歴が拓瑠と同じ施設に入るまでなく、記憶に関しても確かなものがない。
隣に住んでいたという話だったが、拓瑠の家は角部屋で、隣は子供のいない老夫婦だった。
そして、拓瑠には施設に入る前、別の精神科に通院していて、現実には存在しないイマジナリーフレンドへの過度な傾倒が確認される。
その頃、何故か腹部を負傷している世莉架は非通知の電話を受け、どこかへと向かっているようだった。
今回は説明を放棄して、話を進めた感が強い印象。アバンのゲンさんを連れてきたくだりもそうですが、いきなりディソード出して戦い始めたりとか。
アニメのみの人たちだと、ここ2、3回で脱落してそうな人多いんじゃないでしょうか。
そして、世莉架の豹変。口調から何から完全に別人です。
後半の展開から考えると、拓瑠が望んだのはイマジナリーフレンドで、それが世莉架ってことなのかもしれませんが、こんな友達を望んだってことなんですかね。
こんな腹黒いフレンズはちょっと勘弁願いたいものです。「すご~い!」とか「たのし~い!」とか言ってくれるケモノなフレンズの方が断然いいです。
すでに陰鬱な展開ですが、もしかして何の希望もないまま、収束して終了なんですかね。
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