【飯沼一家に謝罪します 1】
矢代誠太郎という民俗学者が飯沼一家に謝罪するというところから始まります。
経緯としては、飯沼一家がテレビのチャレンジ企画で賞金を得るため、祭祀を専門にしていた矢代氏に運気を上げる依頼をしたらしい。
ただ、この謝罪ビデオは現在のものではなく、ナレーションからすると2004年のもので、テレビ出演は1999年のできごと。
飯沼一家は埼玉から来ていて、観客席には従業員や親戚が多数いる模様。
家族構成は父母息子娘の4人家族で、番組ではひとりずつゲームに挑戦して、成功すると100万円と羽合旅行。
母がけん玉、娘が5組の神経衰弱、息子がテーブルクロス引き、父親が紙ヒコーキをリングに通すのに成功。
商品と賞金を手にします。
どうやら、『謝罪』は運気を上げられずに失敗したとかではないようです。
謝罪は続き、儀式の後、飯沼一家ととった写真の顔は全員歪んでおり、番組後、飯沼家は全焼、一家が亡くなったことを明かされます。
そのことから、矢代氏は儀式は運気を上げるのではなく、幸運を呼ぶ代わりに不幸ももたらすものだったのではと考え始めました。
そして、矢代氏は四十九日の裁きを受けようと思うと告げ、二階へとあがっていくところで、モザイクのかかったクレジットが流れているので、謝罪番組自体はここで終わっているようです。
この謝罪番組が放送されたのは2004年5月17日、飯沼家全焼は1999年10月4日、新聞掲載は1999年10月6日、そのことからチャレンジ番組は1999年10月より前だとわかっています。
ただ、この謎の個人による謝罪番組はドキュメンタリーなのか、ドラマなのかわからず、都市伝説として広まっているらしい。
そこまでが前提で、この作品はその謝罪番組の真実を調べようという展開。
当時の番組関係者として、当時編成局員だった高嶋佑二に取材。
すると、当時は珍しい単独スポンサーで、健康雑学の番組のはずが出来上がったのが謝罪番組で困惑したらしい。
次に当時営業局員だった鎌刈幸雄によると、池田IC食品という会社から番組の放送を依頼され、売り上げのために受けたとのこと。
しかし、ここでも内容が変わっており、制作プロデューサーに確認すると、スポンサーの意向だと言う。
当時プロデューサーだった山下に確認をするが、覚えていないし、自分がどうこうということではないと責任逃れをしている印象。
そこで当時の編成局長の石渡政秀に取材をするんですが、さすがに20年前の局長なので寝たきりになっているようで、覚えていないようで取材終了。
関係者からの情報が途絶えてしまい、スポンサーだった池田IC食品もたった数年で廃業、矢代氏も現在は所在不明となっていました。
ただ、その過程で多田野淳という矢代氏の研究所に所属しており、飯沼家とつないだ男性がみつかります。
そこで儀式の様子が撮影されているんですが、1999年7月25日となっているので、チャレンジ番組は1999年7月25日から1999年10月4日ということになるんでしょうね。
4回中の1回なので、状況説明でまだ考察するような感じではありませんでした。
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